応援する話

応援をするという行為は、心にとってとても良いモノだと思います。
どうも、藤田たくろうです。

いきなり何かと言いますと、
文字通り、誰か個人やどこかのチーム、会社などを「応援」するという事は、
ひるがえって自分の心を豊かにする事につながるんじゃないか、
…という話です。

もちろん、いま言う応援は、
何かの見返りを期待した応援ではありません。
自分の心を豊かに…と上で書きましたが、
最初からそれを狙った応援でもありません。
単純に、

この人(or チーム、会社 など)が好きだ、頑張ってほしい

と思っての応援です。

心が豊かだから、自分以外の何かを応援できるんだ

という捉え方もあるとは思いますが、
好きになって応援するから、心が豊かになるという面も、
僕は少なからずあると思います。

例えば、2020年には東京でオリンピックがありますが、
スポーツの日本代表なんかは、
「心が豊かじゃないと応援できない」
なんて事は言われないでしょう。

そういう感じです。

ちなみに、僕にも応援している人やチームがいくらかあります。

・Mr.Children
・阪神タイガース
・サッカー日本代表
・知り合いのミュージシャン
・知り合いのフリーランスのビジネスマン

などなど。
これは余談でしたね。

さて、なぜ「応援」が「心を豊か」にすることにつながるか…。

僕なりの解釈なのですが、応援をするというのは、
「応援する対象に、自分を投影している」
という事になっているんじゃないかと思っています。

だから、応援する相手がいい結果を残すと嬉しいし、
悪い結果になると悔しくて、悲しい。
自分の代わりに、頑張ってくれ!
…無意識の中に、そういう思いががあるんだと思うんですね。

で、「心が豊か」であることは、「感受性」と強く関係していると思います。
心が高ぶったり、落ち込んだり、傷ついたり、嬉しくなったり。
そういう、色々な種類の喜怒哀楽を経験することで、
少しずつ心が磨かれ、豊かになっていくんだと思う訳です。

そう考えると、「応援」と「心が豊か」がつながってきます。

つまり…、

何かを応援することで、喜怒哀楽をたっぷり感じられる。
それを繰り返して、少しずつ心が豊かになっていく。

「応援」と「心が豊か」はそういう関係なんだろうと、
何となく、ぼんやり、考えている今日この頃です。

さて、もう25年応援し続けている我らが阪神タイガース。
今年のBクラスは決まりました。
ついに、あと数試合は消化試合です。

勝手も負けても、色々な感情を感じさせてくれるのだから、
勝ち負けにそれ程こだわる必要はありません。
なんせこの25年で2回しか優勝を味わわせてくれない球団です。
こっちは弱い時の楽しみ方もちゃんと知ってます。笑

とは言え…、

そろそろ強いタイガースが見たいなぁ。
頑張れ、藤浪!岩貞!
才木小野望月原口北條中谷大山高山陽川植田江越……(笑)

来年の今頃、心豊かに優勝を味わえるコトを期待して、
今日はおしまい!笑

藤田たくろうでした!
ちゃお☆

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