みんなと違うコトをやる話

阪神ファンの藤田たくろうです。

金本監督が事実上の解任と言われる形で辞任して、矢野新監督が就任します。金本監督に引き続き、現役時代に好きだった選手が監督になり、来期の応援に力が入りそうです♪

「プロ野球の楽しみは、自分が監督になって采配を取っている気分になる事」と言ったのは僕のいとこです。身内びいきのようですが、かなり言い得ていると思います。

「何でここで敬遠やねん、勝負せい、勝負!」とか「ここは代打◯◯やな!…ほらな、言った通りやろ!」とテレビの前で息巻いているオジサン。プロ野球をよく知らない方でも、想像はできると思います(笑) まさに、アレがそうですね(^^;;

「シーズン中には金本監督批判ばかりしていたのに、解任になると同情的になるのはどういう事か!?」と憤慨している人がネット上に多いようですが、これはそういうコトなんです。つまり、シーズン中は自分と違う采配を振るう監督を批判するんですが、別に嫌いな訳じゃないんですよ。ファンの楽しみ方の1つとして、ご理解いただきたいところです(笑)

その「普通」は自分だけ

そんな話をしていると、よく出会うのがこんな発言をする人です。

「普通スポーツは選手を応援するモンでしょ!」

「そんな風に掌を返すようなコトすると恥ずかしい気持ちになるよね、普通は」

あなたの周りにもそんなモノ言いをする人がいるのでは?僕はこの手の発言を聞くといつも思うんです。その「普通」はあなただけの「普通」かもしれないですよ、って。

たまたまプロ野球の話から例を出したんですけど、京阪神に住んでると、こんか話も聞きます。

「この辺に住んでたら普通USJ行くでしょ!行かないなんて人生半分損してるわ!」

はい、これも同種類。僕はテーマパークにはそれ程興味を持ってないので、自分から進んでUSJに行ったりはしないんですよ。それが、僕の「普通」なんです。あなたの「普通」とは違うんですよ。

ついでに、あなたの人生の半分はUSJできてるんですか、嗚呼可哀想に…(笑)

負けたフリも手段のひとつ

人の世の中、少なからず「同調圧力」が存在します。つまり「みんな」と同じようにしていろ、というプレッシャーのことです。「みんな」と違うと「浮き」ますし、「出る杭は打たれる」わけですね。

日本は特にそういうプレッシャーが強いと考えられています。集団行動が大切な農耕民族だからでしょうか。でも、僕は欧米でも変わりないと思っています。「みんな」と肌の色が違う有色人種への差別はその現れだろうと思います。ようは、程度の差こそあれ、人間社会はどこも同じようなモノなんでしょう。

とにかく!社会でうまく生きていくには、この同調圧力に逆らわない方が楽なんです。「みんな」と同じ方を向いて、「みんな」と同じ物を食べて、「みんな」と同じ服を着る。考える必要もありません。「みんな」が考えてくれるから。

でも、本当にそれでいいんでしょうか。

僕は、絶対にいいと思いません。そもそも「みんな」って誰やねん。そこにはきっと「みんな」を誘導する何かがあって、知らず知らず、一部の人が優位になる状況へ導かれてるんじゃないでしょうか。

例えば、マスコミが世論を誘導して、社会の進む方向を定めてしまう。例えば、太平洋戦争の頃の日本政府が一億玉砕へと国民を導いていく。これらはその極端な例です。

話が大きくなりそうなので、もう少し足下を見つめましょう。僕が考えるのは、「みんな」と同じコトをしていて「よりよく生きる。」に繋がるのかな?というコトですね。

もちろん、自分と「みんな」の感覚が一致するなら、同調すればいいと思います。何もかも反発する必要はありません。問題は、自分の感覚が「みんな」と違うとき。「よりよく生きる。」ためには、僕は自分の感覚を優先するべきと思っています。

そうすると同調圧力がかかってきます。軽いものなら、跳ね返してやりましょう。白い目で見てくる「みんな」もいるでしょうけど、自分をしっかり持っていてカッコいい生き方だ、という評価をしてくれる人もきっといます。

ときには、同調圧力に負けてしまいそうになるコトもあります。苦しいです。そんな時には「負けたフリ」をするのも1つの手です。

いわゆる面従腹背ですが、不要な波風を立てると「よりよく生きる。」観点から言うと本末転倒になってしまいますからね。心の中では「自分」を保ちつつ、「みんな」に合わせてあげるんです。戦うべき場面も、いつか訪れるかもしれません。でも、今ではないんです。来るべき日に備え、チカラを蓄えておきましょう。

批判的であれ

さらにもう1つ、困ったことがあります。

「みんな」に合わせるうちに、知らず知らず思考停止に陥り、自分の本当の想いが見えなくなってしまうコト。これが本当の意味で同調圧力に屈してしまった状態だと言えます。こうなってしまったら、自分以外の何かに操られてしまい、他人の人生を生きるハメになるかもしれません。

まさに戦時中の多くの人が、この状態だったんじゃないかと思います。平成の大事件・オウム真理教の中の人なんかも、そんな状態だったように感じます。そうなってしまうと、もう洗脳です。もちろん、「よりよく生きる。」とは真逆の状態ですよね。

僕が意識しているのは、「批判的であれ」というコトです。言い換えると「モノゴトを色々な角度から見ろ」というコトです。もっと言い換えると「常識を疑え」というコトですね。

「みんな」が言っているコトは本当に正しいのか。自分の心の中の本当の希望は、「みんな」に流されていないか。何事にも、そういう視点を持っていたいと、僕は常々思っています。

「みんな」と違うコトをやろう

成功者は、必ずと言っていい程、「みんな」と違うコトをしています。ノーベル賞を受賞した人たちも、孫正義さんも、発明王エジソンも、坂本龍馬も、織田信長も。

僕が目指すのは、ノーベル賞でも超巨大企業の創業者でも、明治維新でも、天下布武でもありません(笑) でも、「よりよく生きる。」の成功者に、僕はなりたいと思っています。

人から学ぶ姿勢は捨ててはいけません。でも同時に、「みんな」に対して批判的であり続けたい。そして自分の感覚を大切にして生きていたい。そう感じています。

そういう意味で、極端な言い方になるかもしれませんが、あえて言いましょう。

「みんな」と違うコトをやろう!!

長くて熱い文章になりました(^^;;「みんな」がゲシュタルト崩壊しそうですね(笑)

今日はこの辺りで!
ちゃお♪

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