誰かのために、何かをする話

ちゃお♪藤田たくろうです。

「よりよく生きる。」という大きなテーマで書き綴っているこのブログですが、誰が「よりよく生きる」のかといえば、それは基本的に僕自身であり、そして読んで下さっているみなさんです。ただ、ひとつ思うことがあります。それは、

「よりよく生きる。」は自分だけでいいのか?

というコト。極端な話にはなりますが、「自分がいい感じで生きてさえいれば、周りの人はどん底の最悪の状態でいい」のでしょうか。いや、そんなコトはないはず。「よりよく生きる。」は、自分だけじゃなくて、自分を含めて自分の周りの大勢の人たちが対象である方が絶対いいやん。そんな風に思うのです。

情けは人の為ならず

「情けは人の為ならず」というと、どんな意味を思い浮かべるでしょうか。半数くらいの人は、「情けをかけても、その人の為にならないよ」っていう意味だと捉えているらしいですね。言葉というのは、徐々に変わっていくものなので、そういう人たちが多くなったら、この言葉はそういう意味になるのかもしれません。

ただ、元々の意味は「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」というような意味です。「情け」という言葉が意味を引っ張ってる感もしますね。「人に親切にすると、自分に返ってくる」とでも言い換えると、だいぶ分かりやすくなる気がします。

僕は、「よりよく生きる。」という大きなテーマの中に、この感覚を取り入れていきたいなと思っています。前に「人間関係は鏡写し」という話をしましたが、それとすごく近いように思います。つまり、自分が親切にしたら相手も親切にされるし、自分が笑顔でいたら相手も笑顔を向けてくれる。そういうコトですね。

そう考えると、「よりよく生きる。」ためには、自分以外の誰かのために何かをするというコトがとても大切なことのように思えてきます。喜んでくれたり、楽しんでくれたり、幸せな気持ちになってくれたり。そうしたコトがまた自分に返ってきて、自分も喜んだり、楽しんだり、幸せになれる。結果的に、自分も、自分の周りの人たちも「よりよく生きる。」に近づけるんじゃないでしょうか。

見返りを求める行動でいいのか!?

いやいや、待て待て。「最初から自分に返ってくるコトを狙っているのは違うんじゃないか」って考える人もいるかもしれませんね。僕は、最初から狙っててもいいんじゃないかと思います。ビジネス的に考えればwin-winというコトですし、全然問題ないんじゃないかな、と。

ただ、見返りを求めないフリをして「やってあげる」という態度でいるのは、ダメだと思います。それでは相手と対等な立場になれません。そこは、自分にもメリットがあるからやるんだよ、というコトを伝えておくのがフェアなんじゃないかと思います。それなら、「最初から見返りを狙ってる」というスタンスも、相手を騙しているコトにもならないし、自分の心に嘘をつくコトにもなりません。相手に不快な気持ちを与えることもないでしょう。

というわけで、自分自身が「よりよく生きる。」を実践していく中で、同時に自分の周りの誰かのために何かをするということも心がけていきたいですね。結局それも自分自身の「よりよく生きる。」につながり、さらに相手の「よりよく生きる。」にも貢献できる。自分の周りが幸せになれば、きっと自分も幸せになります。そうやって、自分発信でいい環境を作り上げていくのって、素敵だと思いませんか?

人類の未来のため

もっと究極に「誰かのためのアクション」を突き詰めたのが、宗教だという気もします。仏教にもキリスト教にもイスラム教にも、「人のために何かをしなさい」という教えがあるように思います。そもそも宗教というものは「よりよく生きる。」ためにあるようなモノですもんね。きっと、そんな宗教の指導者は「誰かのために生きる」人たちなのかもしれません。

僕は教祖になる希望はありません(笑) が、ひとつ大きな夢があります。それは、「人類の未来のために生きる」というコトです。

話が大きすぎますか?(笑) でも、夢ですので、大きく、目指し甲斐のある夢がいいじゃないですか。それに、意外にそんなにぶっ飛んだ話ではありませんよ。

具体的にどういう夢かというと、まず、自分や自分の家族が生きていく上で必要十分なお金を稼げるようになる。で、それ以上に、もっともっと稼ぐ。そうなると、僕は会社をやっていて、たくさん従業員がいるかもしれません。そうだとしたら、その従業員が「よりよく生きる。」を実践するために必要十分なお給料を出す。その上で・・・、もっともっと儲けを出す。そして、そのお金を、人類の未来のために使うんです。

僕がイメージしているのは、研究に投資するコトです。例えば、砂漠を緑化する研究。エネルギー問題に対する研究。食糧問題を解決するような研究。そんな研究です。何がベストなのかは分かりませんが、そういうコトに貢献したいという夢なんです。それこそ「人類の未来のため」のお金の使い方ですし、宗教者にはなれない(ならない。なりたくない。)僕ができるレベルでの、究極的な「誰かのために、何かをする」はないでしょうか。

十分にぶっ飛んだ話ですかね。笑

もちろん、これはまだまだ「夢」の段階。まずは、自分が十分に「よりよく生きる。」を実践し、そのための収入も確保し、自分や家族の今と未来を守る。現状はそれで手一杯です。でも、夢もいつか叶えるべく、チャンスが来たときに逃さず掴めるように、感度を高くアンテナを張り巡らしておきたいなと思う今日この頃です。

そんな訳で、今日は「誰かのために、何かをする」というお話でした。どうもここ最近は、話が発散して終わっている感じがありますね…。そんな駄文を最後まで読んで下さってありがとうございました!
藤田たくろうでした。
ちゃお♪

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