想像力の話

藤田たくろうです。

クリスマスも過ぎ去り、いよいよ今年もあと数日。2019年へのカウントダウンな雰囲気になってきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

年を越すというと、日本の文化で育った僕たちからすると、何か明確な「境界線」を越えるようなイメージがあります。でも、僕はたまに、その感覚を不思議に思う時があります。

年が変わると言っても、ただ地球が太陽の周りを1周した、というだけなんですよね。そこに「区切り」を感じて、新鮮な気持ちになってみたり、例えば新年の抱負を考えてみたり。そういう人間の想像力ってすごいモンやなぁと思うんですよね。

そんな訳で、今日は「想像力の話」です。

目標を想像する

子供の想像力は豊かだ、なんて言われることがよくあります。もちろんその言葉の裏には、大人は想像力が貧困だ、という意識があります。そして、子供はいいな、それに比べて大人は悲しいな、なんていう羨望とも悲観とも諦念とも取れない、何とも言えない感情があるようにも思います。

でも、僕はそれを良いとは思いません。大人も、子供とは違った種類のモノかもしれないですが、想像力をフルに働かせる方がいいんじゃないかと思います。

例えば、このブログでテーマとしている「よりよく生きる。」について。コレを考える上でも、想像力がとてと大事です。

僕は、このブログの1番最初の記事に「よりよく生きる。」とはどんな状態か、という事を書きました。自分がどうなりたいか、「よりよく生きている」自分はどういう生活をしているのか。そこがハッキリしてないと、何も考えようがないんです。つまり、今の自分とは違う、よりよく生きている状態を「想像」できないと始まらん訳です。

これは、目標の達成とも関わってきます。想像力をもってして自分の未来を思い描かないコトには、僕は目標なんて達成できないと思っています。目的地がどこかもわからずに歩き始めても、なかなか思った場所には辿りつきません。自分が見えていないゴールたどり着くのは不可能な訳です。

ラーメンを食べに行こう!と思って家を出たときは、どこのラーメン屋でどんなラーメンを食べているか、頭の中で想像しているはず。だから、そのラーメン屋でそのラーメンを食べる事ができるんです。

人の気持ちを想像する

この話、深めず、広げます。

今の世の中、不寛容が広がっていると感じます。自分と違う価値観、考え方に対して、排除するような意識を多くの人が持っているような。そんな排他的な空気が充満しているような気がしています。

古い話で恐縮ですが、20年ほど前に時の総理大臣、小泉純一郎氏が「私に反対する人は抵抗勢力だ」と言い放った辺りから、世の中にそんな空気が流れ始めていたんじゃないかとと思います。

最近で言うなら、アメリカのトランプ大統領は排他的という言葉が白人の顔をして歩いているような人ですね(笑) もっと身近な例を出すなら、SNSが炎上するというのも、そういう排他的な空気がそうさせるんじゃないかと感じます。

他者に寛容に…なんて言うと小難しく感じるでしょうか。簡単に言うなら、もっと人に優しくなろうよ、と思います。

自分にも色々な考えがあって、それを否定されたときの悲しさは分かると思います。のけ者にされたり、イジメられたり、そういう時の辛さを実感として知っている人も少なくないはずです。

人を思いやる気持ち。誰かの立場に立ってモノを考えたり感じたりするコト。それも、想像力が欠かせない話ですよね。

大人こそ想像力!

子供の想像力が豊かなのは、当たり前です。子供は知らないコトばかりなので、想像するしかないのです。

大人は、知っているコトが多い分、子供のように「空想」する必要はありません。知っているからこそ、具体的に自分の未来を想像し、他人の気持ちを想像し、そして色々な未来を「創造」できるんじゃないでしょうか。

大人から想像力を奪っているのは、自分を縛り付けているのは、常識や世間体、皆と同じであれとする同調圧力。その辺りだと思います。いわゆる「空気を読む」という行為が、それを象徴しているかもしれません。

まずはそうした「空気」から自分自身を解き放ちましょう。そうして自由になった自分を「想像」するところから始めてみましょう。

大人にこそ、想像力を!それが、「よりよく生きる。」の確かな1歩になるように感じます。

以上、藤田たくろうでした!
ちゃお☆

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