「1つのコト」をやり続ける?の話

藤田たくろうです。

「よりよく生きる。」をテーマに好き勝手書いているこのブログですが、書いていることと言えば、基本的には僕の個人的な価値観や意見であり、個人的なアクションの報告です。そんな中から、皆さんに役に立つ部分、参考になる部分、はたまた反面教師になる部分を見つけてくだされば、嬉しく思います。もしくは、皆さん自身が何かを考えるキッカケになれればいいなぁとも考えています。

さて、そういう前置きで予防線を張っておいて(笑)、本日は「1つのコトをやり続ける」は本当に正しい?という問題提起を投げかけてみたいともいます。

「継続は力なり」は正し過ぎる

まずは誤解のないように、言っておきます。諺というか慣用句というか、「継続は力なり」という言葉があります。断言しますが、これは真実です。やはりずっと1つのコトを継続してやり続けるというのは、とてつもなく大きな力を蓄えるコトになります。自分自身も少ないながらそれを経験してきましたし、僕の周りの人でその例を見つけるコトもたくさんできます。

今回僕が言いたいのは、「継続は力なり」を否定するモノではありません。

じゃあ何なのか。

それは、『1つのコトを継続する事は確かに尊いコトだけど、それに縛られ過ぎて変化を恐れてはいけない!』ということです。

僕には、「継続は力なり」という言葉が、ある意味、「正し過ぎる」気がするんです。正し過ぎるが故に、「1つのコト」を継続するコトのみに価値があって、継続しないコトは無意味で何の価値もない…そんな風に感じてしまうコトがあるように思えます。

問題は、知らず知らず、そうとは気付かないうちに、1つコトを継続するコト以外の価値を否定してしまうコトです。なぜそれが問題かと言うと、悪意なく人に「継続」の価値観を押し付けてしまったり、自分自身の行動を縛ったりする可能性があるからです。

今日のポイントはそんなところです。

「継続」の反対語を考える

色々な切り口で、「アンチ継続」の価値観を見ていくことができると思いますが、とりあえず「継続」の反対語は何なのか、少しだけ考えてみましょう。

まず、辞書的な意味で言うと、継続の反対語は「中断」とか「中止」「停止」という言葉になるのではないかと思います。ただ、「アンチ継続」をそういう言葉で置き換えてしまうと、僕の言いたい事が見えて来づらくなってしまいます。

そして、「継続は力なり」の強力過ぎる正しさに負けてしまう人は、そういう反対語をイメージしてしまっているコトだと思います。

僕のイメージする「継続」の反対語は、上でもチラッと書いてしまいましたが、「変化」や「変更」「切り替え」です。そう考えれば、「アンチ継続」にも価値が出てきます。

つまり、「1つのコトに継続して取り組む」の逆の行動は、決して「取り組みを中止する」ではないのです。「取り組むコトを別の何かに切り替える」というコトなのです。

ここで、今日の問題提起を言い換えましょう。

1つのコトをやり続けるのではなく、どんどん興味の対象を広げて行こう!

軌道修正は早い方がいい

何かに頑張っている人が、その「何か」をやめてしまって、別の「何か」を始めたとしましょう。例えば、1度就職した会社で頑張っていたけれど、数年経った頃に、急に別の仕事をするために退職すると言い出した。そんな人がいたとしましょうか。

多くの人は、「数年で何がわかったの」「石の上にも3年、継続は力なり…という言葉があるじゃない」そういう論調で、「もっと頑張ってみれば?」なんて言うんじゃないでしょうか。「継続は力なり」という一方向の価値観でネガティブに捉えるなら、退職というのは「継続からの逃げ」となるのでしょう。

でも、それは違う。

僕が思うのは、どんどん違うコトにチャレンジしてみようよ、というコト。「継続は力なり」という言葉は正しいのですが、その正しさ故に無条件にその価値観を信じてしまっていたら、チャレンジするタイミングを逃してしまうかもしれません。思い立ったが吉日という言葉もある通り、持ってしまった関心や興味は、熱いうちにチャレンジしてみるのが良いと、僕は思うのです。

何かに取り組んでみたら、それまで見えなかったモノが色々と見えてきます。こんなはずじゃなかった、と思うこともあります。こんなコトなら、もう1つの道を選んでおけばよかった、と。

そんなときの軌道修正は早い方がいいんじゃないでしょうか。「継続」の価値観を盲信してしまっていたら、それも「逃げ」になってしまいます。それではもったいない。「継続は力なり」という価値観を押し付けてくる人は、一方で「人生何度でもやり直しができるんだよ」なんてしたり顔で言ってきたりもします。その「やり直し」のタイミングは、自分で決めるしかないんです。その決断に、「継続は力なり」の盲信は邪魔になってくる可能性があるのです。

少し違う切り口で見てみると、「スペシャリスト」と「ゼネラリスト」という考え方もあります。「継続は力なり」が当てはまって、1つのコトを続けられた人は、「スペシャリスト」に適性があるのでしょう。一方、幅広く色々な知見を求められる「ゼネラリスト」は、1つのコトに固執せず(=継続せず)に色々なコトを経験してきた人たちに適性があると思います。「継続しない」タイプの人たちにも、欠かすことのできないその役割があるのです。

といわけで、今日は「1つのコトをやり続ける」は本当に正しい?という問題提起から、「アンチ継続」について考えてみました。

大切なのは、「継続」という1つの価値観に縛られ過ぎないこと。興味の対象が移り変わるコトは自然なコト。変にそれに抗うのではなく、自分自身の「変化」を恐れずに、柔軟に生きていく。それも「よりよく生きる。」の1つのカタチかなと僕は考えます。

話があっちこっちに飛んでしまっている気もしますが、とりあえずこんな所で筆を置きます。また同じテーマで書くコトがあれば、もう少しまとまった文章を書けるように頑張ります(^^;

では、藤田たくろうでした!
ちゃお☆

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