「1つのコト」をやり続ける?の話2 ~ゼネラリスト~

藤田たくろうです。

前回のブログは、「継続は力なり」は正しいけど、それに固執しすぎると変化をするタイミングを逃してしまう。そういう趣旨の記事でした。

「継続は力なり」は正しすぎるくらい正しいと僕自身も思っているのですが、その正しさ故に、あらゆる物事にあてはめ過ぎている人が多いように思うのです。もっと柔軟に、自由に、どちらにも偏らない「ニュートラル」な感覚こそ、「よりよく生きる。」には必要であるように思います。

前回の記事では、スペシャリストとゼネラリストという例を出しました。1つのコトをずっと継続できて、専門分野に精通している人は文字通り「スペシャリスト」に適性がある。柔軟に変化を受け入れてきて、結果として幅広い知見を手にした人は「ゼネラリスト」に向いている。そういう文脈でした。

今回は「ゼネラリスト」という切り口から、「『1つのコト』をやり続ける?の話」を書いてみようと思います。着地点はきっと同じようなモノになると思いますが、悪しからず(笑)

ゼネラリストについて

スペシャリスト/ゼネラリスト。就職活動をしている中で、自分はどちらに適性があるのだろうかと、自己分析を試みられた学生さんも多いのではないでしょうか。主に、ビジネスの世界で使われる言葉だと思います。

言葉の意味から考えていきましょう。

まず、スペシャリスト。馴染みもある言葉です。辞書的には「特定分野について深い知識やすぐれた技術をもった人」ということですね。「1つのコト」をやり続けた人がスペシャリストに適しているというのは、よく理解できるのではないかと思います。例えば技術者や研究者、職人さんなんかがスペシャリストの典型的な人です。スポーツ選手もそうですね。

ゼネラリストはどうでしょうか。スペシャリストに比べると、あまり耳馴染みのない言葉かもしれません。

辞書的な意味では「広範な分野の知識・技術・経験をもつ人。」というコトです。が、これだけ聞くと「スペシャリストよりすごいやん!」となるかもしれません。より理解をするためには、スペシャリストとの比べて「浅く、広く」であるという説明を付け加える必要があるように思います。

もちろん、スペシャリストと同じくらい各分野を深堀り出来ている、「深く、広く」な人もいると思います。でも、僕のイメージではそういう人たちはゼネラリストとは呼びません。言うならば彼らは「マルチプレイヤー」とでも言うべきでしょうね。天才肌で、みんなから憧れられる存在の人たちです。

整理すると、ゼネラリストとは、『1つの分野に絞って見ればスペシャリスト程の知識や技術はない。けど、幅広く色々な知識があって、スペシャリストに比べて守備範囲がすごく広い』…そんな人たちのコトを言うのです。

ゼネラリストの役割

さて、そんなゼネラリストには大切な役割があります。それは、スペシャリストとスペシャリストをつなぐ、もしくはコーディネイトする、或いはスペシャリストと一般世間の橋渡しをする……そういう役割です。

スペシャリストの人は専門分野にはめっぽう強いですが、あまり視野が広い方ではありません。周りが何を求めているのか、他の分野では何が行われているのか、そういうコトに執着がない場合が多いのです。

逆に、そこに強いのがゼネラリスト。何せ幅は広いです。「こっちのスペシャリストのAさんが作っているモノを、あっちのスペシャリストBさんの活動に組み込めれば、きっと面白いコトが起きるぞ!」そういう嗅覚に優れている訳ですね。

一般的な会社員の仕事で行くと、営業が取ってきた仕事に対して、研究開発部はこんな事を言っている。生産現場の声は真逆だぞ。発注先との日程調整もしなければ。上司に怒られないように利益も確保しておかないとね。・・・そんな色々な人の思惑を調整してコーディネイトする人たちが、ゼネラリストさんたちです。営業マンがそういう立場になっている場合もあるでしょうし、業務部とか生産管理部とか、そういう部署が担う場合もあるでしょう。

少し飛躍した例かもしれませんが、江戸時代末期、幕末の日本において長州藩と薩摩藩を結び付けて、いわゆる「薩長同盟」を成立させた坂本龍馬。そういう働きこそがゼネラリストの極みなんじゃないかと思います。

ゼネラリストが世の中が回す

レストランを例にしてみましょう。スペシャリストは、キッチンで料理を作る人たちです。料理を作るという1つの仕事を極める必要があります。ゼネラリストは、お客さんから注文を聞いて、キッチンに伝え、そして出来た料理をお客さんに提供する、ホール係の人たちです。スペシャリストである料理人と、世間一般の人であるお客さんを、結び付けている訳ですね。もちろん、キッチンの料理人だけではレストランは回っていきません。ゼネラリストは、そういう役回りなのです。

もうお分かりだと思いますが、「継続は力なり」の一点張りでは、いいゼネラリストは生まれないからです。興味の対象が幅広く、色々なコトにチャレンジしたり、色々なコトを勉強したり、色々な場所に顔を出してみたり。そういう人たちが、優秀なゼネラリストになるんです。

会社員の例、坂本龍馬の例、レストランの例を見ても分かる通り、ゼネラリストがいなければ、世の中は上手く回っていきません。つまり、「継続は力なり」を盲信した頑なな思想は、社会が潤滑に動くことと対立する考え方なのです。

何かに取り組んでいると、壁にぶち当たる瞬間が訪れることがあります。そんなとき、「継続」か「変化」かを迷いますよね。

もちろん、「継続は力」というのは1つの真実ですから、継続もちゃんと視野には入れておく。けど、そればかりに固執はしない。ここで「変化」を選ぶことによって、これまで取り組んでいたモノと、これから取り組むこと、その両方に知見を持つことができる。言い換えると、ゼネラリストとしての1歩を踏み出すことができるかもしれない。ゼロからイチを生み出す側じゃないけど、世の中を滑らかに、効率的に回す立場になれるかもしれない。

・・・そういう見方をしたら、違った形の「自分の行く道」が見えてくるかもしれません。

そんなコトを考えている今日この頃です。

以上、藤田たくろうでした!!
ちゃお☆

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