藤田たくろうです。
ここのところ、ずっと更新が滞っています。楽しみにして下さっている方もいらっしゃる中で、大変申し訳なく思っています。また少しずつペースを上げていけるよう、やり方を工夫している最中です。今後ともよろしくお願いします。
さて、今日は3回続けてのテーマ。「『1つのコト』をやり続ける?の話」を書いてみたいと思います。
1回目は、「継続は力なり」という言葉にとらわれ過ぎると、軌道修正のきっかけを失ってしまったり、色々なコトに次々とチャレンジするという発想にならないんじゃないか。そういう内容を書きました。そして2回目は、1つのコトを継続できないとしても、広く浅く色々な経験や知見があれば「ゼネラリスト」として世の中で活躍できるんじゃないか。そんな感じの話でした。
今回は、もう少し批判的に。。。
判断基準は「成長」
何度も言うように、僕は「継続すること」を否定はしません。「継続は力なり」も正しい認識だと思います。継続するからこそ身に付きますし、成果も出ます。そんな体験もしてきましたし、そういう人たちも周りにたくさんいます。
ただ、そればかりが正しいというコトはない。もっと違う価値観もあるし、捉われず、固執せず、ニュートラルな気持ちで、冷静に自分の頭で考えるコトが必要だと思う訳です。
やっていて苦しいと感じるコト、自分には合わない環境で無理をするコト、新しく興味を持ったコトがあるのに今やっている何かに縛られてしまうコト。こういうのは本当に無駄なんじゃないかと思うわけです。前にこのブログでも書きましたが、よく言われる「若いうちは買ってでも苦労をしろ」という言葉。これを鵜呑みにするのはよくないです。苦労をしたら必ず結果が出るなんて甘いモノじゃない。正しい苦労をしなければいけないんです。
最近考えているコトですが、「継続」か「変化」かの判断基準は、「自分が成長できるかどうか」が一番わかりやすいんじゃないでしょうか。苦しいけど、成長できている。合わない環境でやっているけど、この環境に適応できたときに自分が新たなステージに到達できる。そういう状況なら、「継続」するばいい。逆に、苦しいだけで大して成長できる状況でなかったり、合わない環境に適応しても自分にとって大して得るものはないなと感じるとき。そんな時は迷わず「変化」を選択したらいいんじゃないかと思います。
もちろんこれは僕の価値観。みなさんはどんな価値観で、線引きをしますか??
「継続は力なり」は成功者の論理
「継続」を賛美する空気は、「夢は見続ければ叶うんだよ」と似ています。
大体の大人は「夢は叶わないもの」って思っているはずです。それは、かつて自分が抱いた夢が叶わなかったという経験があるからです。
でも、世の中には夢をかなえた一握りの人がいます。僕の周りにもいます。夢を叶えられなかった大多数の大人は、夢を叶えた少数の人たちに憧れ、少し妬み、羨望の眼差しを向けます。そして夢を叶えた少数の人たちが言う「夢って、諦めなければ叶うんだよ」という言葉を鵜呑みにするわけです。
その言葉を鵜呑みにした大多数の夢を叶えられなかった大人たちはこう思います。
「そうか、自分が夢を叶えられなかったのは、夢を追い求めることを途中でやめてしまったからだ。あの時は仕方がない状況だったけど、もし状況が違っていて、夢を諦めていなければ、自分だって夢を叶えていたはずだ!」
そう考える大多数の夢を叶えられなかった人たちは、周りの子供たちに主張するわけです。「1つのコトを続けなさい」と。
大多数の夢を叶えられなかった人たちの理屈も、一見すると正しく思えてしまいます。でも僕は、彼ら彼女らの考えには賛同できません。夢を叶えた成功者だから、「継続は力なり」と言えるんです。いわゆる、「成功者の論理」なのです。
そもそも、です。よく考えてみましょう。その成功者たちも、成功するまでは『別の事』に取り組んでいたかもしれません。取り組んでいた事に行き詰り、方針を変える。でもまた行き詰り、また少しやり方を変える。それでも失敗し、挫けず違う道を探す。そういうことを繰り返し、そしてついには夢を叶える。そんな道のりを歩んできた人たちも少なくないのです。結果的に「諦めていない」のは間違いないですし、最終結果だけを見れば「継続は力なり」なのですが、『1つのコトを盲信的に継続していた』ということはないはずなんです。
僕の考えはこうです。
<1>「夢は諦めなければ叶う」は、『夢を叶えた人たちは、夢を諦めなかった』という事実を伝えるに過ぎない。それは『諦めなければ夢は叶う』とイコールではない。
<2>夢を叶えられなかった人たちは、自分に適性がなかったから、夢を叶えられなかっただけ。その現実に目を背けてはならない。
<3>夢へのアプローチは1つじゃないはず。変化を恐れず、色々とチャレンジすればいい。1つの道にこだわって、「継続」か「諦め」かではいけない。「継続」か「変化」だ。別の道を選んで、また行き詰まるまではそれを継続すればいい。
ジョブズの例
夢を叶えた人たちが、本当に変化を受け入れてきたのか。その実例を挙げて締めくくりましょう。
iPhoneやコンピューターのMacで有名なアップルの創業者、スティーブ・ジョブズ。彼の「伝説的なスピーチ」が語り継がれています。その中のポイントの1つが「点と点をつなげる」ということです。かいつまんで説明をすると、
『将来を考えて色々な一見何の関係もない行動を取ることは難しい。後から振り返った時に、その時はつながると思えなかった色々な行動が、点と点を結ぶように、つながって見えるのだ。だから、今やっていることがいつかどこかでつながって、大きな結果となると信じるしかない』
という感じです。
スティーブ・ジョブズは、大学を中退しています。大学に価値を見出せなかったそうです。退学前、ジョブズは興味の赴くままに潜り込んだカリグラフの講義に魅せられて、その秘訣を会得しました。その当時は、それがMacのコンピュータに活きると思っての行動ではありません。10年後、コンピューターを設計しているときに、10年前のカリグラフィーの知識がよみがえってきたのです。
つまり、カリグラフという点と、コンピューターの設計という点。この2点がむすびついて、今のように美しいフォントを持ったコンピューターが生み出されたという訳ですね。
スティーブ・ジョブズは、大学を中退している時点で、すでに「継続」とは違いますね。カリグラフィーを学んだとは言え、それで身を立てている人ではないので、これも「継続」ではありません。マッキントッシュを作った後、ジョブズはアップル社を一度追われていますので、ここでも「継続」は途切れています。それでも、スティーブ・ジョブズが偉大であると認めない人はいないでしょう。
つまり、「継続」がすべてではないのです。
継続できなくても、何かに取り組みましょう。いま頑張っていることが何かの役に立つとか、将来どうなれるかとか、考えなくてもいいのです。とにかく、自分が頑張れる何かを見つけて、「今を生きる」のがいいのです。将来、そういう点と点が結びついて、線となり、面となり、立体となるのです。
…
そんな感じで、そろそろ「『1つのコト』をやり続ける?」シリーズの第3回目を終わります。
春が近づいてくる雰囲気にワクワクしている今日この頃の、藤田たくろうでした!
ちゃお♪